

香久山古窯/日進市香久山5丁目 /海抜50m 2009.7.19撮影
猿投窯・約1500基は特に奈良・平安時代にはわが国屈指の窯業地でした。灰釉(かいゆう)・緑釉陶器(りょくゆうとうき)という、当時の日本で最も高級な製品を生産し、中国製品に次ぐ高級品として平城京・平安京の都を中心に全国へ供給されました。 のちに、その窯業技術は、瀬戸・常滑へと受け継がれたと考えられています。
これらの内、保存状態の良い窯の一部が市町村の文化財として手厚く保護・公開されている。香久山古窯もその一つ、また、香久山古窯(岩崎45号窯)は70基を数える猿投窯・岩崎地区の古窯の中のひとつで、昭和57年(1982年)に発掘調査が実施されました。遺構は、平安時代初期(9世紀初期)の典型的な窖窯(あながま)で、長さ7.9m、幅2.0mの窯内に分焔柱(ぶんえんちゅう)を有し、天井部を除いて、ほぼ完全な状態で残存していました。



