2009年6月28日日曜日

102.タジン鍋 ロマン再び ー 7/ 猿投窯の終焉

 5~14世紀、日本最大の陶器(須恵器・灰釉陶器)生産地に発展した「猿投窯」もついに終焉を迎える。どうして終わったかは諸説あるが推測を含めて纏めると次の様である。

1. 他地域が発展し相対的に衰退。猿投窯の技術は全国に広がり、また、大陸からの技術導入もあって他地域が大きく発展。猿投窯はもともと保守的で、末期の13~14世紀ごろは一般庶民向けの安茶碗に集中して生産していたの発展が遅れたともいわれる。
2.猿投窯地域は、材料(粘土、燃料など)、流通に限界があり、例えば、「瀬戸」に比べて粘土層が薄く、亜炭層もあって新時代の大量生産には不向きであった。又、燃料である木材(松、なら)が枯渇したとも言われている。

  しかし、猿投窯の技術は次代の瀬戸古窯、常滑古窯を中心に引き継がれて今日まで、日本の・世界の代表的陶磁器生産地として発展して行く。