現在の地図の上に印した東海湖(イメージ図) クリックで拡大
東海湖と古琵琶湖は600万年前からでき始め、東海湖の最大面積期は200万年前と言われている。周辺の山々の花崗岩質が風化した粘土やシルト、砂、礫、及び、メタセコイア等の植物が湖底に層状堆積した。植物の堆積は地層の圧力で半石炭化し、60年位前まで「亜炭燃料」として広い地域で掘削された。現在も亜炭鉱跡の地盤沈下が各地で社会問題となっている。
粘土の堆積は200万年後の現在も人類の文明の利器としての陶磁器産業が延々と続いている。
東海湖周辺では瀬戸焼、美濃焼(多治見、土岐、瑞浪)、三州瓦(高浜)、常滑焼、万古焼(四日市) 古琵琶湖周辺では信楽焼、伊賀焼など。
いわゆる「日本6古窯(中世~現代まで続く窯場)」は前記の瀬戸・常滑・信楽の他に備前焼(岡山県)、丹波焼(兵庫)、越前焼(福井)がある。一方、日本3大古窯(古代の窯跡)は後述の「猿投古窯群(愛知県)」、陶邑窯(すえむらかま大阪府)、渥美窯(愛知県)と言われている。このように日本古来の陶器産業は東海湖と古琵琶湖周辺にある事が解かる。これに対し、日本の他の窯場は、主に近世に渡来した朝鮮人や中国人が技術伝承した窯である。例えば、桃山時代に朝鮮出兵した秀吉の亡き後、朝鮮の陶工を連れ帰って起こさせたのが萩焼、薩摩焼、有田焼、・・・等である。
東海湖の湖底に堆積したと考えられる地層。 下からシルト層・粘土層・赤土層 (断層もみえる) 日進市岩崎台3丁目付近の道路工事現場/ 標高50m(2009.5.10)
粘土層の上に「亜炭層」が見える
亜炭を燃やす 懐かしい石炭の匂い
東海湖、古琵琶湖は200万年前以降、主として地殻変動などの影響で陸地が盛り上がり次第に消滅又は移動(琵琶湖)してゆく。更に、氷河期の終焉による海面上昇で伊勢湾が誕生した。