日本で焼き物の生産は12000年前、世界でも最も古いと言われている。世界的には9000年位前、中国、エジプト、ギリシャなど各地の古代文明の時代からとされる。近世までの日本の焼き物の発展は中国、朝鮮から伝来した技術によるところが大きい。いわゆる縄文式土器、弥生式土器は日本全国で作られていたと言う。1万年も続いた縄文土器の野焼きの時代が終わり、窯で焼成する焼物それが土師器・須恵器です。 焼成温度が飛躍的に伸びた古墳時代の土器には、土師器と須恵器の2種があります。縄文・弥生以来の技術的伝統を受け継いだ赤焼きの土器を土師器といい、青灰色の硬く焼きしまった土器を須恵器と呼びます。・・・ 赤破線は現在の地図上に印した
猿投(さなげ)古窯跡群エリア クリックで拡大
日本三大古窯(古代の窯跡)の中で最大規模を誇る猿投(さなげ)古窯群、学術的には「猿投山西南麓古窯跡群」と呼ぶ。 猿投山(さなげやま・629m、地図参照)の西南に広がる低丘陵地に5世紀(古墳時代)から14世紀(室町時代初頭)までの約900年間にわたり形成され、須恵器,灰釉陶器などが焼かれ全国に流通した。これらの陶器は日本各地の5世紀以後の遺跡から発掘されている。日本6古窯の常滑焼、瀬戸焼、さらに瀬戸焼の後に栄えた美濃焼の原点になったとも言われている。
又、猿投古窯は当初は名古屋市東部、現在の千種区東山地区を中心に発展し次第に東部に移動、最後は瀬戸地区で「瀬戸古窯・瀬戸焼」の原点と成ってゆく。